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大阪地方裁判所 昭和43年(ワ)3619号 判決 1970年4月28日

原告

坊作ますえ

被告

第一商事株式会社

ほか一名

主文

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一、当事者の求めた裁判

一、原告

被告らは各自原告に対し、金四三〇、九六〇円およびこれに対する昭和四三年七月九日(被告平山に対する訴状送達の翌日)から右完済まで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告らの負担とする。

との判決ならびに仮執行の宣言。

二、被告ら

主文第一項同旨。

第二、当事者の主張

一、原告、請求原因

(一)  本件事故の発生

日時 昭和四三年三月一三日午後四時三〇分ごろ

場所 大阪市北区大融寺町九一番地先路上

事故車 自動二輪車(C七二―一〇一九一五八号)

運転者 被告平山

態様 原告が南から北へ道路を横断中、西から東へ進行中の事故車に衝突され、その場に転倒した。

受傷 原告は左第五、六、七、八、九肋骨骨折、左肩、上腕、下腿の各挫傷の傷害をうけた。

(二)  帰責事由

1 被告会社は事故車を所有し、従業員の被告平山をして運転させ、その営業のために運行していた。

2 被告平山には、前方不注意、ハンドル、ブレーキ操作不適当の安全運転義務違反の過失があり、本件事故を惹起した。すなわち原告は、西行の車両が多数信号待ちのため一時停止していたので、その間を縫い、センターラインまで達しそこから北側へ出たところ、東進中の事故車に衝突されたが、被告平山は一時停止中の車両の間から歩行者がいつ出てくるかも分からない状態を予見して進行すべきであるのに、前方注視を怠りかつ右予測に基づいた安全な運転方法を取らなかつたのである。

3 従つて、被告会社は自賠法三条により、被告平山は民法七〇九条により、本件事故から生じた原告の損害を賠償する責任がある。

(三)  損害

1 療養関係費 合計金五六、九六〇円

治療費 金一〇、九六〇円

通院交通費(タクシー代) 金一、〇〇〇円

付添費 金四五、〇〇〇円

2 休業損 金二四、〇〇〇円

原告は、大阪食糧卸株式会社に雇われ、月給約一八、〇〇〇円を得ていたが、本件事故のため四〇日間欠勤したことによる休業損である。

3 慰謝料 金三〇万円

原告の傷害程度からその肉体的苦痛は著しく、かつ被告らが誠意ある賠償等に応じないことなど精神的苦痛も少くないのでその損害として金三〇万円が相当である。

4 弁護士費用 金五万円

(四)  よつて、原告は被告らに対して金四三〇、九六〇円およびこれに対する昭和四三年七月九日から右完済まで、年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二、被告ら

(一)  請求原因に対する答弁

本件事故の発生はすべて認める。ただし肋骨骨折というのは正確にはき裂骨折で軽症である。

帰責事由1は認める。2は否認。3は争う。

損害はすべて争う。

(二)  免責の抗弁

1 本件事故現場は大阪市バスの車庫前の東寄りで自動車交通量の多いこと北大阪随一で、特に午後四時ごろから七時にかけて西行車両が数百メートルにわたつて渋滞し、逆に東行車両は絶え間なく車の流れが続く状態となることが多い。そのため歩行者横断禁止となつていて、その標識が二、三〇メートルおきに立てられ、かつ歩、車道の境に鉄柵が設けられている。しかし、現場から西へ僅か三〇メートル余の交差点に信号機があり横断歩道が設けられており、東へ約七〇メートルの所にも同様の横断歩道がある。

事故当時、西行車両は信号まちで数十メートルにわたつて停滞し、三、四列でひしめき合つている状況であつた。一方被告平山は、現場の西側の信号が青色に変ると同時に発進したが、丁度大阪市営バス一台が現場の北側にあるバス車庫に入庫するため、東行車線の大半を遮断した形で後退しながら入りつつあつた。そのため事故車は、先行するタクシーに追従して、センターライン近くへ迂回して、バスの先端付近を通過した瞬間、右側車両の中から原告が飛び出し、避ける暇もなく衝突した。

2 右状況において、歩行者は横断歩道以外を横断できるものでなく、原告の行為は自殺、自損行為に等しく、被告平山が原告のような横断者を予見することは通常困難であり、予見すべき注意義務までない。また、被告平山が原告を発見後、急制動をかけ左へ避譲しようとしても、知覚、反応、制動等の時間、距離関係から回避可能性は絶無であり、さらに前者注視、速度、通行区分等同被告に不注意はない。

従つて被告平山に過失はない。

3 原告は、横断禁止の標識を無視し、鉄柵があるのに車道に降りて停滞車両の間に入り、東行車線に出る際に左方の確認もせず、しかも、車道に入る直前か、直後に西側の信号は南北方向が赤に変つているのであるから、これを無視して横断した過失がある。これは、道交法一二条二項、一三条一項、二項、四条二項に違反している。

4 事故車には、制動装置等構造、機能に欠陥障害はなかつた。

5 本件には、信頼の原則が適用されるべきである。すなわち被告平山は、本件事故現場においてバスの車体にさえぎられた左右、前方に対し十分注意をして進行すべきであるが、右側方から極端な違法横断者が飛び出してくることまで予測する必要なく、他人の適切な行動に信頼して走行すれば足り、現に同被告はかかる信頼に基き走行していたのであるから、前記事故状況と合せて同被告には過失責任はない。ことに本件事故現場付近には、幼稚園、小学校、養老院もなく、老人等が飛び出してくることを予見すべき特別事情もなく、しかも原告が歩行者とはいえ五六歳の健康な職業婦人であり、適切な行動が取れない老人ではない。

(三)  過失相殺

かりに被告平山に過失があつたとしても、前記のとおり原告に重大な過失がある。

(四)  損益相殺

原告は、自賠保険金三六、八六〇円(治療費一〇、三六〇円、休業補償一〇、五〇〇円、慰謝料一六、〇〇〇円)の支払をうけている。

三、被告らの抗弁に対する原告の答弁

(一)  被告らの免責の抗弁は否認する。

過失相殺について、原告にも横断禁止の道路を横断した過失のあることは認める。

損益相殺は認める。

(二)  本件事故現場は、被告ら主張する場所より東側で市バス車庫東側の南北の道路の南側で、一つの交差点内であつて、歩行者横断禁止の場所であるが、現場の西方にある信号機が、東西方向の停止のとき東行車両は現場付近では皆無となり、横断する歩行者も少くない。午後四時から同七時にかけて交通量は多いが、特に西行車両が多く、数百メートルも渋滞することはない。

本件事故当時、現場西方の信号が東西停止となつていたので、西行車両は三列に一〇数メートルにわたり停車していて、東行車両も右信号付近の西側停止線で停止していた。その際、現場の北側から横断してくる男女二人づれがあつたので、原告は、車道へ出るについてそこに横断標識もなく、鉄柵もなかつたので、横断をはじめた。原告が事故に遭遇した後、西行車両が進行を始めたので事故車こそ赤信号を無視して進行して来たものであり、また事故車に先行するタクシーなどなかつた。

事故車は単車であるから急角度に方向を変えることができ、被告平山がハンドル、ブレーキ操作を確実にして、原告を認めてから進行の妨げとなる人車のなかつた左側へ左折進行するように安全運転をすれば、事故を未然に防止することができたのであるから、被告平山には、重大な過失がある。もつとも、原告が道交法一二条、一三条に違反した点は認めるも、同法四条に違反した点や東行車線へ出た際、左右の安全を確認せず飛び出したことはない。

(三)  加害者に信頼の原則が適用されるのは、加害者が交通法規を遵守していたことを前提とするものであるところ、被告平山に前記のとおり道交法七〇条に違反する点がある以上適用されるべきでない。他方、原告は小学校を卒業したのみの当時五六歳の老婦人で、およそ交通法規にうとい者である。本件事故現場において、歩行者横断禁止標識は並木にかくれて見えにくいこともあり、他に横断歩行者がいれば、老人、子供が横断できるものと思い通行することは無理からぬことで、原告の場合には信頼の原則が適用されない。

第三、証拠〔略〕

理由

一、本件事故の発生、帰責事由1は当事者間に争いがない。

二、被告平山の責任および被告会社の免責の抗弁について、〔証拠略〕を総合すると、次の事実が認められる。

(一)  本件事故の現場は、阪急百貨店前から大阪市北区扇橋方面へ通ずるコンクリート舗装の道路上であつて、歩車道の区別があり、車道幅一二メートル、歩道幅各四・五メートルである。付近はビル等多く、一般住宅は少く、現場の北側には大阪市営バスの車庫があり、車庫の東側には南北の道路(幅三・三メートル)がある。また現場の南側には大一ホテルの建物があり、その東側には幅員一一メートルの南北路があり、一つの交差点をなしているが、信号機はない。信号機のある交差点は、現場から約四〇メートル余西側にあり、それぞれ横断歩道が設けられている。この付近は、交通量がきわめて多く、夕刻大阪駅方面に向う西行車線の停滞が目立つ所である。現場の南側歩車道との境界には、高さ一メートル足らずの鉄柵が設けられ、歩道に向つて、歩行者横断禁止の標識があり、かつ東側に向つて「事故多し、スピードに注意」との注意標示も立つている。

(二)  原告は、(事故当時五六歳)昭和四〇年ごろ三重県から大阪に来て肩書地においてビル管理人をしていて、本件事故当時、現場の北方にある「いずみや」というスーパーマーケットへ買物に行くため、別紙図面のとおり大一ホテル東側の道路から同ホテル前の鉄柵の東端を通り、折から信号まちで停滞していた西行の多数の自動車の間を縫うようにして北側へ歩き、バスの後からセンターラインを超えて左右の安全を確認せず、事故車の接近にも気づかず、東行車線側へ慢然と二、三歩出たとたん、事故車と衝突した。

(三)  一方被告平山は、事故現場の西方の信号機が赤であつたので一旦停止して、青に変つてから東行車線の左端を進行してきたところ、別紙図面のとおりバス車庫前でバスがバックして入庫するべく、東行車両を遮えぎる形となつており、車庫前の歩行者の通過により容易に入庫できず、そのため事故車が直進できないのでセンターライン側へ迂回し、東進する先行タクシーに続いて時速約二〇キロメートルで東進した。その際、入庫前のバスとその前の西行バスとの間は約二メートル程しかなく、被告平山がその間を通過しようとした時には、まだ原告の姿は見えず、通過した直後約四メートルの至近距離で西行バスの後方から出て来た原告を発見して、直ちに二輪制動するべく、手と足の両方で急ブレーキをかけ左転把をしたが間に合わず衝突し、さらに約二、五メートル進んで停止した。

(四)  被告平山は、一年近く単車に乗つており、一日平均六〇キロメートル走行しており、また事故車は制動装置その他に故障はなかつた。

ところで、原告本人尋問の結果によると、(1)事故現場の北側から南へ向つて横断してくる男女二人づれがあつたので横断したこと、(2)横断禁止標識は知らなかつたこと、(3)現場近くの東西にそれぞれ信号機のある横断歩道があることも気づかなかつたこと、(4)大阪駅付近の地理はよく分からない旨を述べている。(1)、(2)については、これを肯定も否定もできないが、(3)、(4)についてはいずれも全く措信できない。

そのほか前掲証拠中、右認定に反する点は信用せず、他に右認定を動かしうる証拠はない。

そこで、右認定によると、本件事故現場は大阪駅に近く交通の激しい所であるため、横断歩道以外では歩行者に車道を横断させないように、歩車道の境界に鉄柵を設け、信号機も近接した間隔で設けられている。被告平山は、かかる施設があつても前方に対する注意を厳にし、何かの異常があればこれに対処しうるよう安全運転をなすべき義務を有する。しかし停滞車両の間を縫つて出てくる原告の動静を予め知ることができず、ことに普通乗用車よりはるかに高さも幅もあるバスの後方から出てきた原告が、センターライン付近まで達しなければ、その姿を見ることはできないのであるから、なおさらである。ところで、本件事故現場の道路において、被告平山が停滞車両の間から出てくる横断者のあることまで予測して進行せよというのは無理を強いるものである。右現場付近は最善の交通施設がなされ、その交通状況から通常人ならば(老人、年少者、身体障害者等で、その状況を認識できないものは別)かような横断方法は取らないことを期待でき、その信頼に基づき運転者は走行できると解されるので、原則的には右予測の要はない。つまり現場付近の状況では歩行者横断禁止の標識の存在を知らなくても、河のように流れる車両を避けて安全に横断するには横断歩道よりほかなく、いわば橋というべく、これを通らずして勝手にどこでも横断できる状態でなく、あえて横断する者は自殺自傷に等しい行為と言つても過言でなく、常識的にも歩行者の安全な通行方法に期待しなければならない場合であるからである。

原告は、三重県から来阪したのは、事故遭遇の二、三年前であり、現場からさ程遠くない肩書地において働いており、現場の北方スーパーマーケット「いづみや」へ行く予定であるところから、現場付近の地理や交通事情が分からない筈はなく、また老人といえる年令でもないから、通常人としての行動を期待できるというべきである。民事においても信頼の原則が適用される場合があり、本件においては適用されて然るべきであり、そうすると、被告平山が原告の出てくることを予測せず事故車を進行していた点について過失はなく、また原告を発見してからの回避可能性も余りにも至近距離であり、二輪制動によつつても停止せず、左転把もすぐに効果なくもはや不可能に近いものといわざるをえず、しかもその発見が遅れたものとは周囲の状況から到底いえないから、前方注視義務に反する点も認められない。その他衝突直前に被告平山が取つた避譲措置からハンドル、ブレーキ操作につき不適であつたとは認められず、同人には何らの過誤はない。

これに反し、原告はその自認するとおり、近くに横断歩道があるのに近道を取り歩行者横断禁止場所を横断し、かつ車両等の直前、直後で道路を横断し、道交法一二条二項、一三条一項、二項に違反する通行方法を取つた。さらに西行バスの後方から東行車線側に出るについて、左右の安全を確認することなく、事故車の直前へ出たのであるから重大な過失があるものというべきである。

要するに本件事故の原因は、原告が歩行者として車両に対する僅かな注意をしさえすれば、防止できたのに、あえてしなかつたためである。従つて事故車運転の被告平山には何らの過失なく、かつ被告会社にも運行上の過失がなく、事故車に構造上の欠陥、機能障害が認められないから、被告平山に過失責任がなく、被告会社の免責の抗弁は理由があり、被告らに本件事故による損害賠償の責任はない。

三、よつて、原告の請求はいずれもその余の点について判断するまでもなく、失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担について、民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 藤本清)

別紙 <省略>

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